13日のおしるしから5日かかりました。午前1時に出動。5時前に産声が聴けました。自然素材の新築の家の居間で お産は生活の一部のように終わったのでした・・

車が一台やっと通る細い道の桧峠を越え、下った先に8軒の部落がある。そこに住む93才の元助産婦さんに会いに行った。家を尋ね歩き、辿り着いて呼び鈴を鳴らすと 美江さんご本人が出てこられた。大正5年生まれ きりっとした中にも やさしさが滲む品のある顔立ちをされていた。お産介助の話になると まるで介助しているように美江さんの右手が動く。会陰を弛ませるような微妙な動き・・わかる。私も手を合わせる。同業であることのしあわせを お互いに感じた瞬間だった。短い時間でも 話は弾んだ。
「お産は自然なもの。余分な手をださず、監視してるだけでいいの。」今日の美江さんの言葉である。


保健講座・・めちゃくちゃでした。話すべきことの3分の1も話せなかったと反省。いつもぶっつけ本番で、強いて何か準備するとしたら心を静めて臨むように・・ということではあるのですが、その日はどうしても原稿の校正で、確認せねばならない文献探しに東奔西走してました。対象が普段お世話になっているご近所の皆さんですから あぁ・・ますます落ち込みます。で、あれでは自分がどうしても納得できないので、何回かに分けて自宅開放のお話し会でもやろうかしらと考え中。子育て中の女性の日、ご老人の皆様の日など別々にして。きっとこんな講師っていませんよね。皆さん準備万端で臨まれるはずですもの。
 昨日は久しぶりにお産の介助をさせていただきました。1818人目の方です。立会い医師もしきりに感動されるほどのご安産でした。やればやるほどわかってきたのは、「お産はわからない」ということです。油断は禁物なのです。「ウマセテあげる」「お産にさせる」そして「産ませてもらう」(勿論例外を除いてです。必要な時はありますから)・・それは違うと思うのです。
 後日、保健委員の方から 聴いてくださった方の感想文はどれもびっしりだったと聞かされました。未だ嫁いでいない娘に伝えるべきことを伝えなくてはと思いましたと言ってくださり、涙が出そうになりました。その一言が聞けただけで 十分です。

60年前の菅先生です。写真の整理に取り掛かっていた先生から、この1枚をいただきました。ピチピチのナース姿・・きっとパワフルにテキパキと動き回っていたのでしょう。右手のペンは、インクをつけて書くペンのようで時代を感じます。東京 住友病院時代の写真なのだそうです。私のお気に入りの1枚。

生後6日目のいろはちゃんのまるで警護をしてるような・・そうとしか思えない行動をとるこの老犬。んん・・一概には 動物は動物だからとはいえないかもなぁ。

またひとつ一生忘れないお産・・「月と産声」に残せたらと思います。夜勤明け2時間寝た後に、ずっと待機していたお産が始まり、そこから24時間近くかかりました。1日半、連絡もない私に 夫から”朱美 いまどこ?”って電話。”いま、帰宅。死にそう・・”と言うと、笑って”死なないでください”と。いつものことなので 彼は慣れっこです。
 大変なお産だったのにも拘わらず、生まれたと同時にものすごく元気な産声を上げた赤ちゃんには感動!がんばったママにも感動!がんばってくださったS医師にも感謝!と、思わず涙を流してしまったお産だったのでした。ありがとう、ありがとう。お疲れさまでした。

 東京のある編集長から、原稿依頼がメールで届いた。表2で1300字。表2とは、表紙の裏で一番目立つのだという。畑違いの業界誌。その業界では有名で売れているのだそうで、テーマは、少子高齢化。肩書きもない、ただの1助産師の私に書けるんだろうか。日本が抱える問題・・考え始めたら 眠れなくなった・・

五月予定の方の妊婦健診を済ませ 久しぶりに長居をして助産院を後に。と、別れたばかりの先生から電話。玄関で転倒したという。それが18日。すべてはそこから始まった。ベットからひとりで起き上がれない状態、内臓が揺さ振られてる感じで気持ち悪いと言われれば帰れない。泊まることにした。歩行介助を二度した後、電話。待ちくたびれていたお産のはじまり・・。重なった。お産は所用時間二時間の大安産。小さめで経過してきたベビーも2500を越えていてほっとした。朝になり、向かいの整形外科のナースが車椅子で先生をお迎えに。打撲の診断で帰りは歩いて自室へ。医師のひびなしの一言大きく、夕方には歩き回れるほどに回復。もうよさそうだ。その日からまたまた色々あった・・家にはもう六日帰ってない。今日も帰れそうにない。お産と介護の両立を求められたら 私にはできそうにないとつい弱気になってしまう、そんな2008年3月23日です。

ご飯は 焼津第一助産院特別配合レシピです。胚芽米にもち米、麦、黒米、十穀パックに梅干しをひとつ入れて炊き込みます。今朝の献立は 有機大根と油揚げの味噌汁、味噌は三種を混ぜ合わせました。有機ほうれん草に胡麻のふりかけ。おろし納豆。のり。焼き魚は鮭。ひとさまにお出しするとなれば 味噌汁ひとつ作るにも長葱を切るだけでも緊張。きれいに揃えて思いを込めて切りました。ひとのために食事を用意する楽しさ・・こんなに感じたのは45年で初めてかも。
抗がん剤の副作用で 歩けばふらふら 好きな車の運転もできなかった時期があった。ホルモン剤5年内服中は 不眠に苦しみ 一週間眠れなかった時は 静脈注射で15分眠らせてもらった。いま、歩けること 運転できること 眠れることで私はしあわせを感じる・・生きていく上での 基本的な部分で私は十分満足している。連載 月と産声は お産に携わる者のひとりとして いま私にできることとして書かせていただいている。夢は 果てしなくある。いまの私にできること やれること わきまえなくては・・と思う。
現在、38週の妊婦さんの待機中・・ふたつのいのちのために 一ヵ月間 最優先に時間を費やす。お産は待つもの・・と昔から言われるが 妊婦さんとともに 産婆も待つ。  いつでもスタンバイできるように・・備える 。私は人一倍 小心かもしれない 待つは修業の如く・・結構 厳しい。いつものようにスタンバイで疲れきる。

 正期産域37週を前に2週間安静入院。日が替わり、退院になっていたその日の夜中にくしゃみと同時に破水。そして陣痛。0時過ぎのメールで状況はわかり、直観的に満潮にやってくる・・と思った私は 二時間寝て 午前二時 くまの手に祈り 天国の小塩すずさん青山にいつものようにヘルプをお願いしました。 西の空高く満月近い月が ひかりを放っていた夜・・病院へ。中休み中だった陣痛が 到着と同時に強まり 満潮5分前元気な産声が聞けました。分娩室の前でパパとふたり手を合わせ 静かに祈ってました・・気持ち良かった 楽しかったと明日香ママはキラキラの笑顔で言いました。
 自分の気持ち次第でどこでだって いいお産はできます。たとえ 病院であっても。明日香ママが証明してくれました。一日遅れで テレビ取材依頼が再び。助産院でもいいようにスタンバイしてましたが ごめんなさいね、運命はこのように。
 お産に備え一度はキャンセルした、川越 帯津病院へ明日行けるようにしてくれたのでしょ?タオちゃん。ありがとう。おめでとう おめでとう・・

 そして24 25日は、熊の手を使わせていただいたお礼を兼ね、水窪へ。昨年も行った西浦田楽オールナイトです。身も心も清まりそうな 寒修行並の厳しい見学。たぶん、今年はひとりで行ってきます。
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