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月あかりの産屋

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楽しい時間 with 小田先生

先週から 体調を崩し 主治医から 禁足令の出てしまった小田先生を毎日訪問しています。
いつもの黒米入り玄米に、南瓜と卵のサラダ、肉なし肉じゃが、冬瓜の煮物、大根の味噌汁などをすべて 薄味で仕上げ(たつもり)たものを毎日少しずつ変えて届けています。今日は、これから 大根と牛蒡、ほうれんそうで料理です。禁足中の86歳の小田先生は、現在翻訳や教育に関する本を3冊、同時進行で執筆中。更に、かつての大学教授時代の教え子の皆さんの要望で 定期的に英詩の講義が毎月。その他の依頼された講義の原稿書き・・それはそれは忙しい爺やさまなのです。そして、私は誰よりも早くその原稿を読ませていただくラッキーな毎日。先生は、私の反応をよく見ていらして・・というのも おもしろい! つまんない!感動・・ わからない・・ がはっきり出るので、なんでも参考になるのだとか・・。一応、お役にたっているようで嬉しいです。”教育者とは、産婆である”と言ったのは、ソクラテスだと一昨日教えていただいて、教育もお産も 個性を引き出すって点では 一緒ですねえ・・暫し ”教育とお産”で盛り上がりました。楽しさ半分、先生の血圧が上がらないか心配半分ってところ・・。Get well soon!!
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by akemi-karko | 2006-09-30 08:57 | 愉快な仲間たち | Comments(0)

久能山 宝台院別院にて能と狂言

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新月翌日の23日の夜、以前から楽しみにしていた能と狂言を観る夕べがありました。その前日から お産の始まった方がいて、私は助産院にて 陣痛のある方に菅先生と交替しながら付いていました。緊張ぎみの産婦さんが、熊の手のおまじないを希望。そして、大阪から駆け付けたパパの到着を待ってたかのように午後二時前にご安産。ちょっとしたアクシデントもありましたが 熊の手が効きましたとご本人曰く。ご一緒するはずの菅先生は出掛けられなくなり、私だけが 能と狂言へ。急遽、青山さんのお母さまをお誘いしてとあいなりました。野村万作氏と桜間右陣氏による仏師と杜若(かきつばた)が 蝋燭と白熱灯のなか、厳かに・・。仏師には 笑いましたが 杜若は 眠ってない私にはちときつく。終わって夜勤にまた入り、またまた36時間ぶりの帰宅。夫はというと 11月のギターセッションの練習で狂い弾き・・36時間ぶりの妻よりギターのようです。Why you chenge?んん・・お互いさまか・・。
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by akemi-karko | 2006-09-24 18:01 | Comments(8)

天然酵母のパン屋 ”クロワッサン”が 閉店

てっきり 店舗移転だと思って尋ねたのです。”どちらへ?””いえ、閉めるんです”のお返事でした。えっ?!一瞬固まりました。”もう このパンが食べれないんですか?””今までありがとうございました。”・・・食パンにバターロール、サンドも大好きでした。食べ貯めってできないしなあ・・。主人は、元 ボクサー。閉店後は、静岡市でボクシングジムを始めるのだそうです。きっと、夢だったんでしょうね。それを知って応援したいと思いました。”月と産声”をよかったら読んでいただけませんか?女性に読んでいただきたいんです、その次のとき奥様にレジで渡しました。そして昨日、またクロワッサンへ。(そういえば 三日月をそう呼ぶって言ってたなあ・・)
 私を見るや否や 奥様が 1枚の絵を見せてくださいました。”挿絵を見て、あれっ・・って思ったんです。友達から譲り受けた絵なんですが・・”と。その絵には、KITAMIのサイン。ANGELの絵でした。間違いありません。月と産声の素敵な挿絵のアーチスト TAKASHI ・ KITAMI氏の絵!!羽も首の長いANGELの特徴も ぴったり。感動しました!また こうしてひとり・・繋がりました・・
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by akemi-karko | 2006-09-19 09:44 | Comments(4)

上海みやげのナチュラルな達磨(だるま)

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これ すごく重いんです。それでも 大事に機内持ち込みで ひとりで運びました。意地でも 人の手を借りずに運びたかったのです。へんなとこが 頑固でして・・
 この達磨さん・・って、実は勝手に達磨さんだと思っているんですが、正に ”無心の境地”の表情。ドタバタの私を シャキッと締めてくれます。
すっかり忘れてました!この達磨、夫には2万円だと言ってあること・・。今日、私のブログを覗いて 4万だったの?2万って言ったでしょ、朱美!・・嘘は つくものではありませんね。つじつまが合わなくなる。それに、嘘ついたこと 忘れちゃうんだよねえ・・それに引き換え、夫の記憶力って すごいねえ・・6年前のこと 覚えてるんだもの。要注意!要注意!
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by akemi-karko | 2006-09-16 16:58 | Comments(6)

劇団 静芸公演"シャンハイムーン "井上 ひさし作

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来たる 11月11日( 土曜日)に 静岡に於いて 井上 ひさし作 伊藤 幸夫演出の シャンハイムーンの公演があります。日中戦争の前夜、物情騒然たる上海が舞台。魯迅夫妻と彼を支えた日本人の物語だそうです。日本人をこころから愛した魯迅の 滑稽にして感動のお話。一緒に 楽しみませんか?上海には 一度だけ行ったことがあります。叔父関係のレストランがあり 両親と訪れました。この旅を 覚えておこうと 所持金はたして 流木彫りの達磨を買いました。なぜか 顔が父にそっくり!いつもドタバタしてる私を 定位置でそっと見守ってくれています。
2006年 11月 11日(土曜日)  17時半開場   18時開演
   
   静岡市民文化会館  中ホールにて
   
    出演: 山崎三郎 生井節子 長谷川哲夫 牧山幸世 又木克昌 中川正臣
    
      前売り券 2000円 学生 1500円
     
         お問い合わせ:又木 克昌 (090)3445-2717まで
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by akemi-karko | 2006-09-16 16:19 | 愉快な仲間たち | Comments(0)

熊の手 9月12日 デビューいたしました!

 3歳のリリちゃんは、パパとママに話していました。”赤ちゃんは いつ生まれてくるのかなあ?ねえ、りりちゃん”の問いに、”2の日だよ”って。パパとママは、9月の2日かなって思いましたが、その日ではなく 12日だったのです。確かに 2の日・・。リリちゃんの予告通り、夜中に陣痛が起こり、12日の朝入院。2人目にしては、スローペースの進行でした。病院であれば、促進剤を使っていたでしょう。子宮口の準備が整ったにも拘らず 下がってくる気配のないベビー。微弱陣痛には そうして出たい都合があるんだろうと私は思っています。決して 微弱陣痛は悪者ではないと。熊の手のことを、既に私のブログで知ってらしたママ。デビューの日は突然来ました。まず、ひとりで祈りを捧げ、いつものように 天国の小塩すずさんと青山徳子さんにヘルプをお願いしました。3回お腹をなでるところを、大サービスで計6回撫でました。満潮迫る 夜の7時前、髪がようやく見えてきて、そこからは一気!3400グラムの元気な男の子が飛び出してきました。こうして、熊の手第1号、無事安産で そのデビューを飾ったのでした。
 今まで介助させていただいたベビーの中で、私の最高は5300グラム。菅先生は、5500グラムでそうです。大きな赤ちゃんは、比較的ゆっくり時間をかけて出てくることが多い気がしますが、5500グラムのベビーは、入院して1時間だったと言うから、んん・・やっぱり お産はわからない・・
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by akemi-karko | 2006-09-14 18:16 | お産のこと | Comments(6)

9・11 あのテロから 5年・・

 5年前、そのニュースを知ったのは 夫の友人からの深夜メールでした。翌12日の早朝には、夫が ニューヨークからの義理の父 ZIGMONDを迎えに 成田空港に行くことになっていました。私たちは テレビの前から動けずに ”信じられない・・”と繰り返し呟いていたこと思い出します。全便欠航、勿論義理の父は来れず、体調を既に崩していた父に会うことは叶いませんでした。2003年、私たちはグランドゼロを訪れ、祈りを捧げました。テロから 5年・・イラクでは 今も多くの命が戦争によって 消えています。そこで 消えるはずではなかった命・・ひとりひとりには、未来があり、きっとそのひとにしかできない役割が別にあったはずなのに・・。繰り返して しまうのですね、人間って・・。それでも、諦めないで 平和を祈りたい・・こころから 祈りたい・・そう思う2006年 9月11日です。
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by akemi-karko | 2006-09-11 08:23 | Comments(10)

安産のまじない これが 熊の手

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月と産声を読んでくださった皆様・・ありがとうございます。今回のテーマは ”熊の手”でした。これが その熊の手です。そして 下の箱が 和紙を重ねた上に 彫刻を施してある箱です。花とかわいい天使たちの彫刻・・どちらも とても神聖なもの・・。来月のデビュー待ちです。私が 妊娠経過を観ている方のお産を二名 控えているのです。熊の手袋を作って バックに入れ 持ち歩くつもり。益々 怪しい助産師かしら。昔 産婆は、魔女と呼ばれました。さながら、現代の魔女・・ね?
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by akemi-karko | 2006-09-06 09:13 | お産のこと | Comments(8)

消えてしまっても父はいつも・・

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1746人以上の命の誕生に立ち合ってきましたが、命の終わりに立ち合ったのはひとりだけ・・それが 父でした。最期に ひとの終わり方を見せ 教えてくれたのだと私は思いました。母とふたりで 事業を始め、いつも 油に塗れた青いツナギ姿の父の印象が一番強く残っています。亡くなってから 父の若かりし頃の洋服が 形見分けで並べられました。どの服もモダンで 斬新な色とデザイン・・知らない父がそこにはいました。おいしいコーヒーを出す茶房で ひとりコーヒーを飲む父がいたことも 伯母に聞いて初めて知りました。地元の病院から ホスピスに移るとき お世話になった看護師の皆さんに 転院することを詫びていた父、私に"朱美 指揮をとれ"と命令した父。父の死をそれらしく迎えさせるための指揮なのだと、私は受け取りました。父らしく 父の望むように・・それしか考えていなかった4ケ月でした。母にも 弟にも相談せず ホスピス医と 何回も話し合いながらの日々でした。家族 親族には 失礼が多分にあったのは申し訳なかったと思います。すべて 私がひとりで受け止める覚悟で進めました。父は何と思っていたのかは わかりませんが、よくやったと 言ってくれることを信じています。
死について 日本はタブー視してきました。子供にも見せまいと・・でも私は違うと思います。大人がしっかりと責任をもった言葉で 伝えるべきだと思うのです。逃げてるのは 大人たちの方・・違いますか?
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by akemi-karko | 2006-09-03 12:25 | Comments(8)

いつも二つの魂にそっと寄り添う産婆でありたい・・それだけを思ってお産を見つめてきました。